ディレクションの天才「ジョージ・ネルソン」のストーリー

George Nelson (ジョージ・ネルソン)
1908 – 1986

もしも彼が居なかったら今のハーマンミラー社は無いかもしれません。そのぐらい重要な人物です。

ネルソンプラットフォームベンチやマシュマロソファといった名作家具を世に残すだけでなく、建築家として、教育者としても活躍をした万能な人物です。

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1908年 彼はコネチカット州のハートフォードに生まれました。

幼い頃はピアニストになるよう母親から教育されていたそうです。

1924年 イェール大学に入学します。

でもこの時は自分が建築家になるつもりはまったくなかったそうです。

1925年 彼が大学二年生のときに”建築”と出会いました。

たまたま美術科と建築科の間にある建物に入ったときに、廊下の壁に飾られていた”公共墓地の入口周辺”という作品を見て感銘を受けました。その建物を出るときに建築家になる決心をしたほどです。
しかしこの時点での彼はリンゴの絵を描くこともできないほどのレベルだったそうですが、建築科に入りただひたすら修練を積んだ結果、のちに教師からも”巨匠”と称されるほどに画力が上達したと言われています。

1928年 イェール大学卒業後、同大学の非常勤講師を務めました。

しかし世界大恐慌の影響により大学を放り出されてしまいます。

1931年 カソリック大学大学院に在籍。

職もなく、また居心地の良い空間もなくなった彼は、これからの自分の生活を考え抜いたすえに”バリー賞”を受賞することを誓います。そのためにカソリック大学大学院に在籍しました。
ここでは受賞するために相当なストイックで厳しい生活を送ったそうです。

しかし残念ながらバリー賞は受賞できませんでしたが、イェール大学の方から”ローマ賞”を受賞したという連絡が来ます。

1932-34年 ローマ賞を受賞。

賞の奨学金を得てローマにあるアメリカン・アカデミーに留学することになりました。
この期間中にヨーロッパ各地をまわり、ミース・ファン・デル・ローエ、ウォルター・グロピウス、ル・コルビジェといった著名な建築家と会いインタビューをしました。

【バルセロナチェア】ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのストーリー
バルセロナチェアでとくに有名なミース。その彼自身のストーリーを理解すると巨匠ということがわかります。 世界三大建築家の一人の人生を書きました。

1933年 ローマでフランシス・ホルスターと結婚。

1935年 帰国後アーキテクチュラル・フォーラム誌とフォーラム誌の編集委員となります。

建築巨匠たちのインタビュー記事が目に留まったことでこのポストを得ました。

1936年 ニューヨークでウイリアム・ハンビーと建築事務所を設立。

41年まで続いていました。

1946年 ハーマンミラー社の初代社長D.J.ディプリーの誘いにより、同社のデザイナーに就任します。

ここに至るには少し話をさかのぼって説明しないといけません。

1945年にハーマンミラー社長のディプリーは、雑誌LIFEに掲載された”ジョージ・ネルソンによる収納家具の発表(ストレージウォールのこと)”を目にすることで初めてネルソンの名前を知ります。
この時のハーマンミラー社は、ギルバート・ロードという同社の哲学と言えるほどのデザイナーを1944年に亡くしたばかりでした。今後のハーマンミラー社を導いて牽引してくれるほどの人物を探していた時でした。

そこでディプリーはネルソンこそがふさわしいと考えました。
ですが、当時まだジーランドにある地方の小さな無名の家具メーカーであったハーマンミラー社は、ネルソンに支払う報酬もかなり苦しい資金状態でした。が、そこを決断してディプリーの熱心な勧誘により二度目のオファーでネルソンは了承しました。
(このストーリーは米国本社のハーマンミラーアーカイブの社員が話していた内容も含めて私の記憶で書いているので間違っていたらすいません。)

彼がハーマンミラー社に参加することで、チャールズ・イームズ&レイ・イームズやアレキサンダー・ジラードを同社に導きました。

【必読】チャールズ・イームズの生涯と詳しい説明
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テキスタイル、建築、家具をデザインした「アレキサンダー・ジラード」
アレキサンダー・ジラードはハーマンミラー社のテキスタイル部門のデザインディレクターとして活躍しており、多くの魅力的なファブリックを世に送り出しました。 建築家でもあり、家具や内装のデザインもして、民芸品のコレクターでもある彼の生涯を書きました。

特にイームズ夫妻をハーマンミラー社に招き入れるのには葛藤がありました。この話は世に出ていることはほとんど無い話なのですが、最初から手放しにイームズ夫妻をハーマンミラー社に導いたわけではありません。その辺の話はプライウッドチェアのストーリー内に書きました。

イームズ夫妻最初の家具「イームズプライウッドチェア」ストーリー
イームズ夫妻によるプライウッドチェアはハーマンミラー社から初めて発売された椅子です。 そしてここからイームズとハーマンミラーの伝説が始まります。

その後は今までにないモダンなデザインを次々と発表をしてハーマンミラー社を世界的な家具メーカーへと成長させるわけです。

今までのデコラティブなヨーロピアンな家具メーカーであったハーマンミラー社のイメージも一新されます。

ハーマンミラー社から最初に発売された家具はネルソンプラットフォームベンチでした。

ネルソンプラットフォームベンチの話
とにかく有名なネルソンのプラットフォームベンチ。通称ネルソンベンチ。ハーマンミラー社自体の代表作の一つでもあります。 最初のオリジナルからそのストーリーを書きました。 名作家具の一つです。

1947年 ニューヨークでスタジオを設立。

彼自身のプロダクトも掲載されたハーマンミラー社のカタログが出版され、ハワードミラー社との共同も始まりました。

1952年 ハワードミラー社からバブルランプがリリースされます。

ネルソンクロックもハワードミラー社から発売されました。

ジョージ・ネルソンの名作照明バブルランプの歴史と正規品
アメリカンミッドセンチュリーを代表する照明の一つ。ジョージ・ネルソンの傑作です。 バブルランプはどうやって生まれたのか、そんな話を書きます。 今は名作照明の一つとして君臨します。

1955年 ジョージ・ネルソン・アソシエイツを開設。

1957年 日本政府からの招待で日本に来ました。

ジョージ・ネルソンと日本
1957年に日本政府から招待されてジョージ・ネルソンは日本に滞在していました。 その時の光景と、持ち帰った本について。
日本の箪笥から着想を得たネルソンミニチュアチェスト
ジョージ・ネルソンによりデザインされたこのチェストは、日本の和タンスからインスピレーションを得たといわれています。 デザインストーリーを書きましたのでお読みください。

1964年 ニューヨーク万博のクライスラー館と展示デザインを担当。

198?年 自身の引退とともに事務所を閉鎖しました。

1986年 ニューヨークで亡くなりました。

ジョージ・ネルソン・ファウンデーションがありますので、全デザインや建築の紹介ははそちらで詳しく見れます。

Geofg Nelson Foundation HP http://www.georgenelsonfoundation.org/

ネルソンの歴史はハーマンミラー社の歴史でもあります。
彼を知ってこそハーマンミラー社も理解できるはずです。

ネルソン関係の話をカテゴリーでまとめてありますので下記をご覧ください。

名作家具とデザインの話
フリーランスでもある家具屋のオーナーが家具知識や雑談や問題などを書いています

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