レイ・イームズの紹介とその生涯

レイ・イームズだけに焦点を当てた紹介は少ないと思います。基本的にイームズ夫妻としてチャールズとセットのようになってしまっています。

ここではチャールズと分けて彼女のストーリーを書きます。

Ray Emaes (レイ・イームズ)
1912/12/15 – 1988/8/21

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1912年 彼女はカルフォルニア州のサクラメントで生まれました。
最初の彼女の名前はBernice Alexandra Kaiserでした。のちにRay Kaiserに改名します。

幼いころから絵を書くのが好きで、ハイスクールでは絵画部に在籍していました。

時期不明ですがニューヨークに引越をします。

1933年 アートスチューデンツリーグに入学。
抽象画家のハンス・ホフマンに6年間師事します。
同時期には舞踏家のマーサ・グレアムから前衛舞踏のレッスンも受けていました。

1936年 アメリカ抽象画家連盟が発足。

創立メンバーのひとりとして活躍します。

1940年 クランブルックアカデミーに入学。
MOMAが主催したオーガニックデザインコンペには彼女も応募しています。

1941年 チャールズ・イームズと結婚。レイ・イームズになります。

ここからチャールズ&レイ・イームズとして活動を共にします。
この年代はプライフォームド・ウッド社を設立してレッグスプリントの量産に勤しんでいました。

1942年 雑誌”arts & architecture”の編集に加入します。表紙のデザインなども手掛けていました。

1947年 エヴァンス社の拠点がミシガン州ジーランドに移ったことで、残ったロサンゼルス支社をイームズオフィスの拠点にします。

しばらくはハーマンミラー社とシェアして使っていました。通称901オフィスと呼ばれます。

1949年 case study house #8 & #9が完成。

#8を自宅として使い、イームズハウスと呼ばれました。

ロサンゼルスにあるイームズハウスはイームズ夫妻のホームですが、現在は内部の見学は通常しておりません。 しかし、特別に内部まで侵入してチャールズの孫に案内してもらった話を書きます。

その後はハーマンミラー社とイームズオフィスとのコラボレーションにより、イームズシェルチェアを始め、多くの名作家具を生み出しました。彼女は特に色彩とテキスタイルを担当して才能を発揮しています。

結婚後はチャールズと共にしていますので詳しいことは、チャールズの記事を参考にしてください。

1978年 チャールズが泣くりました。

この事態に彼女は控えめに行動をしていた今までと違い、率先的に表舞台に出るようになりました。イームズオフィスのトップとしてチャールズが残した仕事を引き継ぎ、ハーマンミラー社とIBM社の終身顧問契約は最後まで続きました。

チャールズの仕事を決算することが彼女の仕事となりました。

1988年 病室で亡くなります。

それはチャールズが亡くなった10年後の同じ日でした。

チャールズの娘のルシアのインタビューによると、レイは病室で横たわりながらしきりに日付を気にしていたそうです。そしてチャールズの亡くなった日に合わせるように息を引き取ったそうです・・・

そして彼女の遺言により901オフィスは解体されることになります。

この最後の部分は映画「ふたりのイームズ」を観たほうが良いです。

そして、901オフィス解体の様子も映像として残っています。

彼女は画家でした。
だから色彩に関しては重要なポジションいて、彼女だからこその色彩美がありました。

チャールズはこんな言葉を残しています。

” Anything I can do, Ray can do better “

「なんでも自分より彼女の方がうまくできる」

”イームズ”の名前は有名ですが、イームズと検索すると間違った情報や嘘や誤解がある情報がほとんどです。 イームズとはいったどんな人物か、どんなことをしたのか、詳しく正しい情報をお伝えします。 もともとは建築家であり、家具のデザインだけでなく映画撮影までしていました。

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