【バルセロナチェア】ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのストーリー

ミースファンデルローエ

Mies van der Rohe (ミース・ファン・デル・ローエ)
1886 ~ 1969

世界三大巨匠の一人として数えられる偉大な建築家です。

バルセロナチェアがプロダクトとしても有名ですね。

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1886年 彼はドイツのアーヘンで石工の息子として生まれました。
父親のお店で働いたり、地元の会社で働いたりしていました。その後インテリアデザイナーでもある建築士のブルーノ・パウルのオフィスで働きます。
ミースは正規の学校教育を受けていませんでした。

1908-12年 Peter Behrensの建築事務所で働きます。
これが彼の建築人生の始まりです。

1912年 自身の建築事務所を開設します。

1913年 実業家の娘と結婚。

1918年離婚。

1927年 シュッツガルトで開催されたヴァイセンホーフ住宅博覧会の副会長に就きます。
博覧会ではウォルター・グロピウス、ル・コルビジェがデザインした住宅と家具が展示され、ミース自身も家具、住宅を展示しました。
これがいわゆるインターナショナルスタイルといわれる建築様式のスタートとなり、ミースも代表的建築家としての地位を確立することになりました。

バルセロナチェア Knoll aoyamaより

1929年 ワイマール政府の要請により、世界万国博覧会のドイツ政府館の設計を依頼され二ヶ月で完成させます。
ここにあのバルセロナチェアが展示されたんです。

有名なバルセロナチェアのストーリーまで知っている人はほとんどいないと思います。 いくつも会社を渡り歩き、ミース・ファン・デル・ローエ自身の想いとともに現在の形に至るまでのお話です。 どうしてKnoll社から発売されるようになったか、どうして正規品かを書きました。

1930年 トゥーゲンハット邸を設計。
ここであのトゥーゲンハットチェアが生まれますけど、いまKnollでは販売してないですね。

1930年 ドイツのあのバウハウスの3代目学長に就任します。
でもナチスの弾圧により1932年に閉校します。

1932年 ミース自身で私立バウハウスを開校すます。

が、これもいろいろあって1年後に閉校を余儀なくされたそうです。

1938年 米国に亡命。
今のイリノエ大学で教鞭ととります。

1948年(47年説あり) Knoll社に家具製造権を与え彼のデザインがリリースされます。

1946-52年 シカゴのレイクショア・ドライブ・アパートメントを設計。

1951年 医者のファンズワースの自邸を設計。

あのファンズワース邸です。
いろいろあって、いろいろもめたみたいです。ちょっと奥さんと良い関係に・・・

1958年 NYのシーグラム・ビルディング設計。

1968年 ベルリン国立美術館のギャラリーをデザイン。

これが最後の仕事となりました。

よく近代建築の3大巨匠のひとりとしてカウントされています。フランク・ロイド・ライト、ル・コルビジェ、そしてミース。
ウォルター・グロピウスを入れて4大巨匠と呼んだりもします。

彼の有名な台詞に「God is in the details」 がありますよ。
意味としては、”神は細部に宿る”です。

まあ有名な人なのでご存じのストーリーだったかもしれませんね。

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