Enzo Mari (エンツォ・マーリ)
1932 ~
彼は今なお現役※で活躍をしており、イタリアンデザインの金字塔のような存在です。
彼の人生と思想について書きます。
以前までは”エンゾ・マーリ”とカタカナ表記をしていましたが、現在は”エンツォ・マーリ”と表記を変えています。よりネイティブな発音に近いようにですね。
※2020年10月20日追記
イタリアンデザイン界の巨匠
1932年 彼はイタリアのピエモンテ州ノヴァーラで生まれました。
親はイタリア南部プリア州からの移民で、下層無産階級の貧しい家庭だったそうです。
父親はせめて息子だけはちゃんとした教育を受けさせようと、苦労してマーリを後期中等学校まであげることをしました。
裕福な家庭の同級生が休暇に別荘や旅行に出かけたりするときに、マーリ自身は野菜売りのバイトをしていたそうです。
友人たちはすでに就職し多くは工場労働者でした。マーリは日曜日に友人らと過ごすことが多かったそうですが、そこで自身の仕事の話は一切しなかったそうです。
すでにマーリは彼ら同級生とはなにか違う仕事をしようと考えていました。
そこで、マーリは当時は高等学校卒業資格がなくても入学できた唯一の高等教育機関「ブレラ・アカデミー」に入学しました。
アートの世界で頭角を現すべく懸命に研鑽を積んだのですが、もともと”社会主義的思想”を持ち、アーティストと非アーティストの間にある垣根を取り外そうと考えていたマーリにとって、アートという市場の不条理さは悩みの種だったそうです。
そこでマーリは”アートではなくデザイン”に関心を持つようになりました。
50年代の後半の話だそうです。
その後ブルーノ・ムナーリの紹介でDANESEを紹介され、多くの後の名作となるプロダクトをリリースすることになります。
DANESEだけでなく、ALESSI、KARTELLなど様々なメーカーとのコラボレーションもありました。
それから、1967年、1979年、1987年、2001年の四度コンパッソ・ドーロ賞を受賞し、名実ともに優れたデザイナーとなったわけです。
現在もミラノのスタジオで現役です。
※2020年10月19日に亡くなりました。
この”社会主義的思想”ですが、理想の社会を構築するための思想を語れるかどうかということみたいです。
マーリはこう語っています。
「イタリアには、ちゃんとしたテクノロジーの学校も、デザインの学校もなかった。それなのに、なぜ、イタリアのデザインが、かつてのテクノロジーという視点からは欧州の先進国だったイギリスやドイツなどより優れていたのかわかりますか?それは、たとえ幻想だとしても、社会主義的な平等を夢見るパワーがあったからです。当時、イタリアでデザインについて展開されていたすべての議論は、テクノロジーではなく、新しい世界を築くためのものだった。その議論の主人公は、決してデザイナーではないのです。」
参考図書 : DREAM DESIGN No.7
さらに続きます。
「デザイナーがプロダクトを作ると考えるのは、大きな間違いで、企業家が、デザイナーが語る思想をきちんと理解できたときに、はじめて美しい製品が生まれる。」
「何故なら、デザインの思想とは、人が人としていかに行動すべきかという、ある意味で論理的な思想を引きづらざるをえないものだからです。」
「デザインとは、究極的には論理の思想であり、それは技術によってつくられるものではない。思想によって生まれるものだ。」
参考図書 : DREAM DESIGN No.7
マーリは、彼自身の人生経験や思想からプロダクトを生み出していたんです。
イタリアンデザインでは外すことの出来な重要人物です。
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