エンツォ・マーリのストーリー

Enzo Mari (エンツォ・マーリ)

1932 ~

1932年に彼はイタリアのピエモンテ州ノヴァーラで生まれました。
イタリア南部プリア州からの移民で、下層無産階級の貧しい家だったそうです。
父親はせめて息子だけはちゃんとした教育を受けさせようと、苦労して彼を後期中等学校まで遣ることができました。
裕福な家庭の同級生が休暇に別荘や、旅行に出かけたりするときに、彼自身は野菜売りのバイトをしていたそうです。
友人はすでに就職し、多くは工場労働者で日曜日は彼らと過ごすことが多かったですが、そこで仕事の話は一切しなかったといいます。すでにエンツォさんは彼らとはなにか違う仕事をしようと考えていました。

そこで、当時は高等学校卒業資格がなくても入学できた唯一の高等教育機関、ブレラ・アカデミーに入学しました。
アートの世界で頭角を現すべく、懸命に研鑽を積んだのですが、もともと”社会主義的思想”を持ち、アーティストと非アーティストの間にある垣根を取り外そうと考えていたエンツォさんいとって、アートという市場の不条理は悩みの種だったそうです。
そこで関心を持つようになったのがデザインでした。50年代の後半の話だそうです。

その後ブルーノ・ムナーリさんの紹介でDANESEを紹介され、多くの後の名作をリリースすることになります。
DANESEだけでなく、ALESSI、KARTELLなど様々なメーカーとのコラボレーションもありました。

それから、1967年、1979年、1987年、2001年の四度コンパッソ・ドーロ賞を受賞し、名実ともに優れたデザイナーとなったわけです。

現在もミラノのスタジオで現役ですよ。

この”社会主義的思想”なんですけど、理想の社会を構築するための思想を語れるかどうかということみたいです。

エンツォさんはこう言っています。

「イタリアには、ちゃんとしたテクノロジーの学校も、デザインの学校もなかった。それなのに、なぜ、イタリアのデザインが、かつてのテクノロジーという視点からは欧州の先進国だったイギリスやドイツなどより優れていたのかわかりますか?それは、たとえ幻想だとしても、社会主義的な平等を夢見るパワーがあったからです。当時、イタリアでデザインについて展開されていたすべての議論は、テクノロジーではなく、新しい世界を築くためのものだった。その議論の主人公は、決してデザイナーではないのです。」

さらに続きます。

「デザイナーがプロダクトを作ると考えるのは、大きな間違いで、企業家が、デザイナーが語る思想をきちんと理解できたときに、はじめて美しい製品が生まれる。」

「何故なら、デザインの思想とは、人が人としていかに行動すべきかという、ある意味で論理的な思想を引きづらざるをえないものだからです。」

「デザインとは、究極的には論理の思想であり、それは技術によってつくられるものではない。思想によって生まれるものだ。」

参考図書 : DREAM DESIGN No.7

と語っています。
エンツォは、彼自身の人生経験や思想からプロダクトを生み出していたんです。

イタリアンデザインでは外せない人物です。

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