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彫刻家でもあり家具もデザインした【イサム・ノグチ】のストーリー

 

イサム・ノグチ

Isamu Noguchi (日本名 : 野口 勇)

1904 – 1988/12/30

 

1904年 彼はアメリカのロサンゼルスで生まれました。

両親は日本の詩人である「野口米次郎」と、米国の作家でもあり教師でもある「レオニー・ギルモア」です。ノグチは日系アメリカ人です。

 

二年後には父ともに日本へ戻りました。

 

日本では森村学園幼稚園や横浜にあったセントジョセフ学園と、当時は相当に恵まれた学校教育を受けていたそうです。
ですが、両親の不仲・確執により、父米次郎への不信と反発からから母レオニーは1917年にイサムを米国に連れ戻しました。
レオニーは息子の心の傷を癒すためにインディアナ州にある寮制の実験学校(どういった学校なのか曖昧です)に入学させようとしましたが直前に廃校となります。

 

途方に暮れていたイサムの元へ、廃校となったその学校の創立者であるE.A.ラムリーが手を差し伸べます。イサムの面倒をみるべくラムリーの知人宅へ下宿させ、さらにハイスクールに通わせます。
これから8年のあいだイサムは母親とは会うことが出来ず、さらにレオニーからの手紙も仕送りもない状態だったそうです。

 

ラムリーはイサムの将来を考え医者になることを薦めますが、イサムはアーティストになることを望みました。意志を尊重しラムリーはコネティカットに住むグッツォン・ボアグラムという彫刻家にイサムを預けます。
が、イサムはボアグラムと反りが合わず三ヵ月で別れることとなります。

これがイサム・ノグチが彫刻と出会った最初のシーンです。

 

1923年 ニューヨークのコロンビア大学の医学部に入学します。
ラムリーの友人たちがイサムのために学費を出してあってくれました。イサム自身も大学に通いながら夜はレストランで働いていました。

 

そんな生活を送っていると唐突に母レオニーがイサムの前に現れます。

レオニーは大学に通いながら美術学校にも通うようイサムを説得しました。
そしてイサムを「レオナルド・ダ・ヴィンチ」という名前の彫刻学校に通わせます。
イサムは入学の三ヶ月後には学内で個展を開くほど才能に溢れていたそうです。

イサムはその才能からグリニッチ・ヴィレッジにアトリエを持ち、彫刻協会の会員にも選ばれることで彫刻の道に専念することになりました。

 

1927年 パリに留学。

 

1929年 ニューヨークに戻り初の個展を開催。

おりしも世界恐慌真っ只中のために作品が一点も売れなかったそうです。

 

1930-31年 日本、中国など極東旅行に出かける。

 

第二次世界大戦勃発
彼は日系人ということで、わざわざ望んでアリゾナの日系人収容所に入りました。

実はその前にデザイナーのロブスジョン・ギビングスからコーヒーテーブルの模型依頼を受けていたのですが、ギビングスに模型を送ったあとには何の音沙汰もなかったそうです。
しかし、この収容所で読んだニューヨーカーにイサムがデザインしたコーヒーテーブルが、形を変えてギビングスデザインとして掲載されていることを見つけます。

彼はそれに憤り、『これを超える優れたテーブルを作ろう!』と決心します。

のちにハーマンミラー社からコーヒーテーブルをリリースしまして、それがあの有名なテーブルです。

 


そうです、この”ノグチコーヒーテーブル”です。

ただこのテーブルには諸説ありまして、もとのデザインはイサムの妹にプレゼンとしたテーブルだとも言われていますし、当時のMOMA館長のアンソン・コンガ・グッドイヤーためにデザインしたテーブルとも言われています。

妹に送ったプレゼント説は、三本脚の円柱照明だ説もあります。

 

1947年にデザインされたこのテーブルは、ジョージ・ネルソンからの依頼されて製品化されたものです。
ここからはイサムは家具のデザインをするようになります。

 

ディレクションの天才「ジョージ・ネルソン」のストーリー
ジョージ・ネルソンはハーマンミラー社のデザインディレクターを務めたことで、イームズやジラードを同社に導き、ハーマンミラー社を世界的なファニチャーメーカーへと成長させました。 自身のデザインであるネルソンベンチや名作家具も世に多く残しています。

 

1950年 銀座で個展を開催。

 

1951年 再来日した際に、岐阜提灯との出会いによりAKARIシリーズの製作を開始します。
同年 シャーリー・山口(山口淑子)と結婚。後55年に離婚。

 

1954年(55年説あり) 友人でもあったハンス・ノルにイサムがデザインしたワイヤー組のスツールに注目をしKnoll社から製品化され発売されます。

あとからテーブルも製品化されました。

 

このデザインのテーブルです。

 

ハンス・G・ノルのストーリー
米国Knollの創業者であり、優秀なセールスマンであった彼は、アメリカンモダンファニチャーに大きく貢献しました。 彼がいないと今日のモダンはなかったかもしません。

 

1961年 ニューヨークのロングアイランドシティにアトリエを構えます。

これ以降はイサムは基本的に彫刻の仕事とAKARIの製作のみ注力しています。
グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、草月会館、アート・インスチュートなど多くの場所で作品が発表されました。

 

1970年には大阪万博にて噴水をデザインしました。 

今も残っています。ゴルフボールのようなデザインの噴水です。

 

1984年 コロンビア大学より名誉博士号を授与されニューヨーク州知事賞を受賞。

 

1987年 アメリカ国民芸術勲章を受勲。

 

1988年 札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組みますが、同年12年30日ニューヨークで心不全により亡くなりました。

 

イサム・ノグチは彫刻家として非常に高い評価を得ている人物でもあり、家具デザイン方面でも才能を発揮した優れた人物です。

 

ハリー・ベルトイアと共通する部分がある人物ですね。
ふたりとも彫刻家であり、Knollから家具を発売し、ワイヤー組のデザインを残しているという点がです。

 

イサム・ノグチのライセンスはイサム・ノグチ財団が管理しており、正規品家具メーカーは世界でHerman Miller社、Knoll社、Vitra社の3社のみ認められています。

 

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