Gilbert Rohde (ギルバート・ローディ)
1894 – 1944
ギルバート・ローディは1894年に米国・ニューヨークで生まれた家具デザイナーです。
家具のモダンデザインに置ける先駆け的存在であり、ハーマンミラー社にとって「同社の哲学」と呼ばれるほど非常に重要な存在でした。
カタカナ表記としてギルバート・ロードと書くこともあります。
アメリカのモダンデザインへの変化を予測して広めた人物
ハーマンミラー社といえば1923年に創業し、モダンデザインのパイオニアとして家具のみならずデザイン業界へも大きな影響を与えた今や世界的な家具メーカーです。
ハーマンミラー社の前身の会社である1905年に創業されたスターファニチャー (1909年にミシガンスターファニチャーに名称変更)から計算すると110年以上にわたり続く老舗ブランドでもあります。
40年代からジョージ・ネルソンやイームズ夫妻らとともに今なお残る名作家具の数々を製造販売しており、現代ではアーロンチェアを筆頭にオフィスシーンに置けるトップブランドとして君臨をしています。
(ハーマンミラー米国本社の資料庫で撮影した初期ハーマンミラー社のベッドなど)
そんな同社の今からは想像がつきづらいのですが、創業時から1920年代まではヨーロピアン調のデコラティブな大型家具を製造していました。大型のドレッサーやベッドなどです。
また、当時はデザインのサイクルが早く次々に業界各社から新しいデザインが発売され、横並びで似たデザインを販売しているような状態でもあったそうです。
しかし、1929年に世界大恐慌が起こり株価が暴落したことでハーマンミラー社も倒産の危機に瀕します。
(ギルバート・ローディがデザインをしたダイニングルーム :書籍herman miller INTERIOR VIEWS P.31)
そんな折にギルバート・ローディはハーマンミラー社に対してモダンデザインへ変化することを提案します。
世界恐慌が起こり住宅も小さくなっていく中で、装飾華美な家具デザインは邪魔になっていくだろうと考え、ミニマルで生活に密着したデザインが求められるだろうと予想しました。
そうしてローディのデザインをした家具はこれからのモダンデザインを予感させながらも、今までのハーマンミラー社とは全く違う新たな取り組みでもありました。
1933年の万国博覧会に新作を引っ提げてハーマンミラー社が出展したところ高評価を得たことで復活の道をたどっていきます。
さらに1939年にはショールームを開設し、拠点を作りお客さんを呼ぶという手法も確立します。
1942年にはエグゼクティブオフィスグループ(EOG)を立ち上げ、オフィスへの一貫したシステム的な納品をする最初の例を作りました。
(EOGグループ:書籍herman miller INTERIOR VIEWS P.37)
ローディによりハーマンミラー社は復活をし、デザイン部門のリーダーとしてだけでなく、会社の今後の良い指導者としても活躍したために彼は「ハーマンミラー社の哲学」と形容されるほどになりました。
しかしローディは1944年に急逝します。
突然ローディを失ったことでハーマンミラー社は新たな人材を探します。
そうして当時の社長D・J・ディプリーが見つけた人物がジョージ・ネルソンです。
ここからはネルソンのストーリーをお読みください。
ローディはアメリカンモダンデザインへの道を開いた人物でもあり、ハーマンミラー社にとっても歴史的に重要な人粒でした。
同時にヘイウッドやウェディコムといった家具メーカーからも家具のデザインをしており、彼による当時の新素材を使った革新的な家具の数々は傑作ばかりです。
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