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バウハウスの重要人物「マックス・ビル」とは

Max Bill (マックス・ビル)
1908 – 1994

 

様々な面を持った人物です。

人によっては時計のデザイナー、人によってはグラフィックデザイナー、人によっては建築家と印象は異なると思います。バウハウスとの関係からストーリーを書きます。

 

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バウハウスとの関わり

 

1904年 彼はスイスのヴィンタートゥールで生まれました。

 

1924年 チューリヒ工芸学校で銀細工を学びました。1927年まで。

在学中パリを旅行し、ル・コルビジェの実験住宅に感銘を受け、翌年コルビジェの公演を聞き建築を志すようになったそうです。

 

1927年 ドイツのデッサウの”バウハウス”にて建築を学びます。1929年まで。

 

1930年 チューリヒに定住し、建築、画家、彫刻、デザインと幅広く活動を開始します。

 

1931年 ビニア・スポエリーと結婚。

 

1944年 タイプライターのデザインを機に本格的にプロダクト、家具のデザインを始めたそうです。

 

1950年 ナチスによって閉鎖されたバウハウスの復活計画をするインゲ・ショルの誘いでウルム造形大学の設立に協力を始めます。

 

1955年 ウルム造形大学が正式に開校されました。

同大学の学長としてバウハウスの精神を継承しながら教育が行われたそうです。

 

 

このウルムが「ウルムスツール」のウルムですね。
当時は”ビルホッカー”なんて愛称もあったそうです。

 

【どちらも正規品】「ウルムスツール」のストーリーと「スガビッロ」との違い
スイス人デザイナーであるメックス・ビルによる名作中の名作家具”ウルムスツール”。 そのスツールの歴史と目的について説明しました。 さらにザノッタ社のスガビッロとの存在の違いも書きました。

 

1956年 ウルム造形大学の学長を退任します。早い。

 

1960年 コンクレーテ・クンスト50年展を組織し開催します。

 

1964年 ローザンヌにて教育と造形展覧会委員として計画に参加。

以後、教育者としても活躍しました。

その後も彫刻や建築をいくつも手掛けました。

 

1994年 そしてベルリンでなくなりました。

 

彼は”よりよい生活環境を作るのが真の芸術家の役割である”という信念を持ち、デザインと芸術の壁を越えて多くの作品を世に送り出しました。

ちなみに、彼の息子ヤコブ・ビルによりマックスビルファウンデーションが存在しますよ。マックスビルの商標やデザインを管理しています。

 

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