ミッドセンチュリー期における時計のデザインは、非常に装飾的で華美でした。
その代表例として挙げられるのが、ジョージ・ネルソンによる一連のクロック類です。
彼の時計を見れば、それが一目瞭然です。
実はそれ以前の193~40年代頃からすでに時計の装飾は大きく、派手になる傾向にありました。
ネルソンの時計がそれまでのものと大きく異なっていた点は、独特なカラーリングと記号化された意匠設計でした。
これらの過剰ともいえる装飾性は、1980年代頃まで長く続いていくことになります。
なぜ当時の時計は装飾的だったのか?
では、なぜ当時の時計はここまで装飾的だったのでしょうか?
その理由には、ある一つの背景があります。
ジョージ・ネルソンの時計について、メーカー側はこう語っています。
「人々は数字ではなく、針の位置で時間を読んでいるという発見があった。当時はすでに腕時計が一般的であり、室内にある時計はもはや実用品というよりも装飾品としての役割が強くなっていた」と。
もっともらしい説明ではありますが、本質的な理由は別のところにあります。
装飾はマーケティング戦略だった
ネルソンがハワード・ミラー社からの依頼を受けて時計をデザインした当時、市場では価格や機能による差別化が難しくなっていました。
コストによる価格差では他社との差をつけられず、製品としての性能に大きな違いも出せない——そんな状況にあって、ネルソンは付加価値としての装飾性を設計に持ち込むことを考えたのです。
つまり、あえて目を引くような奇抜なデザインを施すことで、「高価である理由」や「特別であること」を視覚的に訴求する戦略を取ったのです。
その上で、ネルソンとミラー社は、少々風変わりであってもお金を惜しまない富裕層をターゲットにした製品づくりを行いました。
それが、あの華美な時計たちの背景にあるマーケティングの本質です。
装飾が“価値”に置き換えられた時代
つまり、時計の装飾が過剰になっていったのは、性能ではなく意匠によって差別化し、価格を正当化するための手段だったのです。
機能では差がつかない時代にあって、装飾を“価値”そのものとして訴えたというわけです。
本来、時計の役割は「時間を読むこと」ただそれだけです。
しかしそれを、インテリアとして、あるいは家具の一部として、より高価に仕立てるための“言い訳”として装飾が用いられたのです。
だからこそ、当時は派手で大きな時計が多かったのです。
アンチテーゼとしての渡辺力
この流れに対し、日本のプロダクトデザイナー・渡辺力は、1960年代に明確なアンチテーゼを提示します。
彼は、ほとんど装飾のない「小さな時」計をデザインしました。
こうして時計のデザインは徐々に変化していきます。
派手さや飾りを競う時代は終わりを迎え、今日ではミニマルで簡素なデザインが主流となりました。
その背景には、装飾による差別化すらも難しくなったこと、そして人々の関心が素材や質感、空間との調和といった“風味”へと移っていったことがあるのかもしれません。
まとめ:デザインは“戦略”である
以上、なぜかつての時計がこれほどまでに装飾に趣を置いていたのか、その理由についてお話ししました。
このエピソードから見えてくるのは、デザインとは単なる造形ではなく、コストや売上と深く結びついた戦略的な行為であるということです。
華美な時計たちは、そのことを雄弁に物語っているのです。
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