Alvar Aalto (アルヴァ・アアルト)
1898 – 1976
アルヴァ・アアルトは日本で最も有名な北欧の建築家の一人です。昨今、急激に露出が増えたことで彼の作品は広く知られるようになりました。
フィンランドの現代建築として巨匠でもあり、成形合板を使った家具の先駆け人物でもある名デザイナーでもあります。
フィンランドを代表する建築と家具
1898年 彼はフィンランドのクオルタネに生まれます。
1916-21年 ヘルシンキ工科大学建築家に通い、卒業後はスウェーデンに渡り建築家アルヴィート・ビヤルケの事務所で働きます。
1923年 フィンランドのユヴァスキュラで建築の仕事を得たのをきっかけに自身の建築事務所を設立します。
1924年 仕事上のパートナーともなるアイノ・マルシオと結婚。
(書籍アルヴァ・アアルトもう一つの自然から)
1928年 パイミオの結核サナトリウムのコンペでアアルト夫妻は優勝をしたことで、建築だけでなく内装インテリアも手掛けるように依頼をされました。
サナトリウムでは夫妻が関心を寄せていたマルセル・ブロイヤーのスチールフレームのカンティレバー構造のチェアを当初は採用する予定でしたが、病人にスチールの冷たい感じがふさわしくないと考えたことで木材の温かみのあるデザインに変更をすることにしました。
そうして出来上がったのが「パイミオチェア」とも呼ばれるNo.41です。
これは当時フィンランドでスキー板によく使われていた白樺材をプレスしてフレーム構造として仕上げています。オット・コーホーネンが航空機用に改良した接着剤を使ったことで大量生産が可能となりました。
1933年サナトリム竣工
同年1933年にはアアルトの最も有名ともなる世界的ベストセラーのスツールがデザインされます。
それがこの「スツール60」とも呼ばれることとなるNo.60です。もともとは図書館のためにデザインされました。
成形合板の技術を生かして頑丈で大量生産かつミニマルなフォルムが世界的ヒットを飛ばしています。
1935年 アアルト夫妻自身により自分たちの家具を製造販売する会社Artek(アルテック)を設立。
建築のためにデザインされた家具やガラス細工にファブリックを製品として一般へ販売するようになります。
1937年 パリ万国博覧会にてフィンランド館を手掛けました。
1938年 ニューヨーク近代美術館(MOMA)にて個展「アルヴァ・アアルト-建築と家具-」が開催。
1943年 フィンランド建築家協会の会長に選ばれました。
1948年 チューリッヒ応用芸術美術館で「アルヴァ&アイノ・アアルト展」を開催。
1949年 妻アイノが亡くなります。(1952年にエリッサ・マキニエミと再婚)
1950年代にはアメリカだけでなく世界的に北欧デザインブームが起き、アアルトのデザインは評価を確立します。
また1950~60年代はアアルトにとって多くのコンペで入賞や公園に建築と都市デザインまで手掛ける優れた期間でした。
1976年 ヘルシンキにて亡くなりました。
1950年代にアメリカを中心に世界的な北欧デザインブームがあったわけですが、それが2010年代の今また北欧ブームが来ています。歴史は巡るということでしょう。
木材のやさしさを活かしたデザインは今の世の中にマッチします。
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