ブラニフ航空(Braniff International Airways)とは1928年から1982年前まで営業していたアメリカのテキサス州で創業した航空会社です。略してブラニフです。
ブラニフ兄弟により始まったこの航空会社は当初メキシコ周辺の運行のみでしたが、後に大型ジェット機を導入して国際線の運航をするほどに成長をしました。
このブラニフ航空がデザイン界で「伝説的エアライン」として語り草になっているのはどうしてか説明します。
デザインも優れたエアライン
航空会社の米国内外での競争が激しくなることで、ブラニフ航空は差別化として1965年に「The End of the Plain Plane」(さよなら退屈な飛行機)というコピーを掲げ、イタリアのラグジュアリーブランドデザイナーの「エミリオ・プッチ」とハーマンミラー社のテキスタイルディテクターを務める「アレキサンダー・ジラード」とともに独創的なキャンペーンを展開しました。
(http://www.braniffinternational.com/gallery.html)
このキャンペーンは飛行機の機体をジェリー・ビーンズ・フリートという15色に色分けした塗装をし、それに合わせて客室乗務員の制服をプッチがデザインをするといった従来の航空会社とは一線を画すデザイン性の高さが売りでした。
さらに本社や空港のカウンターからラウンジまで、全てを色彩豊かなデザイン力の強いインテリアコーディネートもしていました。チケットからスプーンから包装紙までデザインにこだわったぐらいです。
つまり、もう何もかもすべてをブラニフデザインとして作り上げていました。その多くをジラードがデザインしており、彼が手掛けたものは一万数千点にも及びます。
(書籍herman miller INTERIOR VIEWS P.78)
こちらがその時のラウンジの光景です。
このラウンジのインテリアコーディネートしたのもアレキサンダー・ジラードです。
色使いや小物に至るまでジラードの感性が活かされた魅力的な空間です。
ブラニフ空港のためにデザインされた家具は、1967年にハーマンミラー社から製品として発売もされました。
また、広告戦略も有名で、ハイセンスなビジュアルで人々の注目を集めました。広告にはアンディ・ウォーホールも参加していました。
また、ブラニフ航空は当時1970年代の米国内で唯一コンコルドを保有していました。
これによりブラニフは60年代、70年代でもっとも成功したエアラインと評価されています。
(書籍CALDER P.83)
1973年には彫刻家の「アレクサンダー・カルダー」が参加しました。
1975年にカルダーは、Flying Colors(空飛ぶ色彩)と呼ばれる塗装をダグラス DC-8に施しました。その芸術的なペイントは大きな注目を集めました。
カルダーは「想像できない物は作れもしない。でも、想像できるものは何でも実現できる」という言葉を残しています。
しかし急速な路線拡大、原油高などの影響により1982年に破産宣告をし全ての便の運航を停止します。
その後も何度か買収による復活することもありましたが1992年には完全にブラニフ航空は姿を消すことになります。
現在もブラニフのライセンスは管理され、そのデザイン性の高さをノベルティにするなどして流通しています。
こういったことからデザイン界では伝説的エアラインと呼ばれるわけです。
デザイン界に限らず伝説的でしたね。
ジラードの参加により家具業界にとっても重要な歴史です。
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