Bruno Munari (ブルーノ・ムナーリ)
1907 – 1998
彼はデザイナー、画家、彫刻家、絵本作家、教育者と活動が多岐にわたります。
その為、ムナーリを一つのジャンルとして絞るのは難しいです。
ここ日本では絵本作家としてのイメージが強いかもしれません。
彼の生涯とダネーゼ社との関係を解説します。
ブルーノ・ムナーリの人生
1907年 彼はイタリアのミラノに生まれます。
幼少期をパディア・ポレージネで過ごします。
1925年 ミラノに戻りエンジニアの叔父と仕事を始めます。
1927年 当時のイタリア前衛芸術の「未来派」に参加し多くの作品を発表しました。
そこで「役に立たない機械」を1930年に発表をして注目を集めます。
1938年まではグラフィックデザイナーをしており、1943年までは雑誌のアートディレクターをしていました。
1948年 同志と「Movimento Arte Concreta」を設立。
数多くの作品を発表しイタリアデザイン業界に貢献しました。
1954年 サルの玩具「ZIZI」で第一回コンパッソ・ドーロを受賞。
のちに1955年、1979年にも同賞を受賞します。
1956年 ダネーゼ創業者のダネーゼ夫妻と出会います。
彼ははダネーゼ夫妻に様々な提案をし、1957年に開業されたショップダネーゼのために灰皿や照明などいくつもプロダクトをデザインしました。
もう一つ彼の人生で多く手掛けていたのが子供向けのコンテンツです。
きっかけは自分の息子のために絵本です。
第二次世界大戦直後のイタリアには、ろくな絵本がなかったので自分で作ろうと思ったのがきっかけです。
作品として絵本や玩具をいくつも発表し、子供向けの造形ワークショップを考えたりと教育業界にも実績を残しました。
晩年はイタリアだけでなく日本や各国でワークショップの開催に勤しんでいました。
そんなブルーノ・ムナーリはトータルで考えて”アーティスト”がしっくりくるかもしれません。
プロダクトに目を向けて書きますと、彼の作品は芸術性がありながらも遊び心もあり、梱包や流通といった現実的な部分も考えている優れたデザイン力が魅力です。
デザインは問題を解決するためでもあるので、見た目の美しさもそうですが製造上の問題をクリアすることや輸送コストを減らすなどにまで気にかけられています。
彼は多数のプロダクト(製品)をデザインしていることで知られていますが、ムナーリ自身は「芸術は一点ものではなく、多くの人の手に渡るべきだ」と明言をしています。
ムナーリの製品はプロダクトではあるのですが、アートとして製作をしているものを量産しているわけです。
これがムナーリのことをデザイナーというよりアーティストと表現するのが近い理由です。
絵本やワークショップはムナーリのイベントがたまにあるので参加してみてください。
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