渡辺 力 (ワタナベ リキ)
1911 – 2013
戦前からデザインをはじめ、日本のプロダクトデザインの重要人物の一人です。
椅子や時計に内装と幅広く仕事をしていました。
ミドセンチュリーとも関係があり、彼の時計はイームズ夫妻に贈られたこともあります。
渡辺 力 氏の長いデザイナー人生
1936年 東京高等工芸学校木材工芸家卒業。
1940年 同校の助教授になりました。
1943年 東京帝国大学農学部林学科の助教授に就任。
1949年 渡辺力デザイン事務所を設立してフリーランスのデザイナーとなりました。
1952年 ”ヒモイス”を発表。
同年に日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)が設立され理事に就任しました。
1957年 籐家具の”トリイスツール”と”円形センターテーブル”がミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。
その後、旧東京ヒルトンホテルや軽井沢プリンスホテルをはじめとしたホテルの内装デザインや、あの日比谷にある第一生命のポール時計や成田空港の世界時計など多くの家具・プロダクトを手掛けました。
1976年 紫緩褒章を受賞。
100歳を超えても現役で新作のリリースをしていたいたすごい人です。
2013年に亡くなりました。
戦前からプロダクト、デザインに関わり、それこそ日本でパイオニアのような存在のひとりです。
まず、彼がデザイナーとしてどれほど優れているかをわかっていただいたうえで、ハーマンミラー物語を書くほどミッドセンチュリー期に精通していたということもポイントになります。
なにせ当時を経験した人ですからね。
ハーマンミラー物語の前書きを抜粋します。
「おそらくハーマンミラーとネルソンたちのことを詳しく知ったのは、ネルソンが深くかかわっていた雑誌『アーキテクチュアル・フォーラム』からだったような覚えがあります。
その後、1956年にアメリカ工業デザインの現場を見学するメンバーに柳宗理さんらと選ばれ、渡米。
イームズ夫妻やサーリネンらが学んだクランブルックアカデミーやハーマンミラーの本社などを訪ね、さらに彼らの仕事に関心を持つようになりました。
ただ、ネルソンやイームズと直接知己を得たのは帰国してからのことで、ネルソンとは1956年、イームズとは1957年にはじめて会いました。剣持勇さんらと一緒に、何度か食事を共にしました。」 渡辺力談
イームズ夫妻には自身の時計をプレゼントしたエピソードもあります。
自身もデザイナーでありながら、アメリカンミッドセンチュリーを日本へ伝えていた素晴らしい人です。
日本の重要なデザイナーの一人ですので、絶対に知っておくべきですよ。
これもあり、私は自分のお店では時計を渡辺力さんのばかり提案しています。相性が良いです。
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