プライウッドチェアやシェルチェアなど歴史的な名作家具をデザインしたミッドセンチュリー期を代表するデザイナーの1人チャールズ・イームズは実は大器晩成な人物でした。
チャールズ・イームズの生年月日を見ればすぐにわかることなのですが、チャールズが1945年にMOMA(ニューヨーク近代美術館)でプライウッドチェアやプライウッドテーブルなどのエキシビジョンを開催した時には38歳でした。
それ以前の1940年にエーロ・サーリネンエーロ・サーリネンと共同でMOMAが主催したオーガニックデザインのコンペに出品した時点で33歳です。
1945年にハーマンミラー社とコラボレーションをすることになり、最初の製品プライウッドチェアの発売が39歳で、シェルチェアを作ったのが1948年ですから41歳です。
(イームズラウンジチェア&オットマン)
イームズラウンジチェアは1956年ですから49歳の時ですね。
ラウンジチェア発売時にテレビ出演をして紹介されていることを考えると、ここで世間的な知名度を持つ人になったのだと思われます。
どうですか?イームズは若くからの成功者ではなくて大器晩成じゃないですか?
チャールズは23歳の時に独立して友人と建築事務所を開設しているのですが、恐慌の影響もあり経営がうまくいかずその2年後にはすべて(妻子も・・・)をほったらかし放浪の旅に出てしまっています。
どうも今だったら病名が付くような精神状態だったようです。その際中にメキシコで収監※されたりもしています。※犯罪をしたわけではなく街の光景を絵に描いたら逮捕されたそうです
いろいろあってチャールズの建築がエリエル・サーリネンの目に留まりクランブルックアカデミーの特別研究員になったのは31歳(あるいは30歳)の時です。
そこから再スタートをしてイームズラウンジチェアまで辿り付き、IBMから展示会の依頼を入るほどとなりました。
チャールズは大学も放校処分になっていますし、若い時にダメになっても本人にやる気があればしっかり成功が出来るということが良くわかります。
どうしてチャールズが成功できたのかというと、その一つの要素にワーカホリックで仕事を楽しんでいたというのもあるようです。
ひたすら仕事をする人だったそうで、散髪をしに行く時間すら惜しいため自分のスタジオに理容師を呼んでその場で仕事の指示をしながら髪の毛を切っていたほどです。
(証拠)
毎日ほぼ同じ服装を来ていたのも考えるリソースを仕事に回したいからという理由がありました。
本人にしてみたら働いているという感覚は無かったのかもしれませんが、客観的に見たら働きすぎでしょうね。
あくまで可能性の話ですが、その辺の無理が亡くなった原因(動脈瘤)にもあるかもしれませんが・・・
順調にキャリアアップをしていくのが理想ですが、そうじゃなくても挽回できることもあるということですね。
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