イサム・ノグチによるプロダクトは様々ありますが、代表的かつ知名度が高いものは岐阜提灯から生まれた照明「AKARI」と、こちらのハーマンミラー社から発売されたガラスコーヒーテーブルでしょう。
ちょっと古い写真なので不鮮明ですが、まぎれもなく当時ハーマンミラージャパンで国内流通していた正規品です。
彫刻家としての魅力が詰まった木製の脚に、ガラス天板を載せた彼らしいズバらしい造形です。
このテーブルがどうやって生まれたかを書きます。
ノグチコーヒーテーブルの出生秘話
イサム・ノグチのストーリーで書きましたが、このコーヒーテーブルにはこんな話がありました。
第二次世界大戦勃発
彼は望んでアリゾナの日系人収容所に入ります。
実はそれ以前にロブス・ジョン・ギビングスからコーヒーテーブルの模型依頼を受けていたのですが、模型を提出後にもギビングスからは何の音沙汰もなかったそうです。
しかし、この収容所内で読んだニューヨーカーにノグチがデザインしたコーヒーテーブルの造形を若干変えてギビングスがオリジナルデザインとして掲載されていることを発見します。彼はそれに憤り、それを超える優れたテーブルを作ることを決心し、のちにハーマンミラー社からコーヒーテーブルをリリースしますが、それが「イサムノグチコーヒーテーブル」となります。
もともとのデザインの元ネタは妹に送ったテーブルだとか、当時のMOMA館長のアンソン・コンガ・グッドイヤーためにデザインしたテーブルとも言われています。妹に送ったプレゼント説は、円柱の照明だよ説もあるんですけどね。あの三本脚のですよ。
この話の中にある、ギビングスのコーヒーテーブルがどんなものか見せたくてどこかの古い書籍に写真ないかなって探したんですけど、なかなか見つからなくてどうしようかと考えていたら、ふと目についたcasa BRUTUSのイサムノグチ特別号に普通に載っていました。
これですね。
言われてみると構造が似ています。
ただ、天板がなんとなくアルヴァ・アアルトっぽいので、イサムノグチの脚の造形を取り入れつつデンマークデザインのようにもなっています。
ただこの話が真実かどうかはわかりません。定説みたいなものです。
ギビングスは認めていませんから真相は謎です。ノグチの証言のみです。
当時のMOMA初代会長アンソン・コンガ・グッドイヤーのためにデザイン作成したテーブルが上画像のものです。
このテーブルをアンソン自邸のために製作したそうです。これが彼の初のテーブルだとヴィトラ社では説明しているみたいです。
このデザインのテーブルも格好良いですね。ローズウッドを使っていたそうですよ。
ただ、後にハーマンミラー社からリリースされたデザインの方が製品として優れていると思います。あの脚は製造から保管から梱包から、どれをとっても合理的になっています。
アンソン自邸のは芸術として優れているでしょうね。
以上、イサム・ノグチによるガラス製のコーヒーテーブルのストーリーでした。
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