
1971年、チャールズ・イームズは自身の映画の試写会において、記者から「デザインは何に対してするべきか」という質問を受けました。その問いに対し、彼は次のように答えています。
デザインは必要性に対して語るべきだ
この言葉は、デザインという行為の本質を非常に端的かつ明確に表しています。装飾でも、自己表現でも、思想の主張でもなく、まず「必要性」があり、そこからデザインは生まれるという考え方です。
必要性とは何か
イームズが語る「必要性」とは、単なる消費者ニーズに限定されたものではありません。
- 生活をより良くするため
- 不便を改善するため
- 問題を解決するため
- 人や社会が前進するため
こうした人間側の必要性はもちろん、同時に企業側の必要性も含まれています。
- 均一な品質で大量生産するにはどうすればよいか
- コストを抑えながら継続的に供給するにはどうすればよいか
- バリエーションを持たせつつ、管理可能な構造にするにはどうすればよいか
企業が「実現させるために必要だ」という要件も、立派な必要性です。
イームズ夫妻が取り組んでいたデザインは、こうした複合的な条件を整理し、解決へ導く行為でした。
思想の押し付けではないイームズの家具
つまり、イームズの家具はデザイナーの思想を押し付けるためのものではありません。
目の前にある具体的な問題に対し、誠実に向き合った結果として生まれた工業プロダクトです。
ここに、「デザインは問題を解決するもの」という本分が明確に現れています。
戦後と素材、そして家具の爆発的進化
戦後、新しい素材や製造技術が次々と登場しました。
合板、FRP、アルミニウム、プラスチックなど、それまで家具に使われなかった素材が生活の向上を目的として積極的に取り入れられていきます。
その結果、膨大な数の家具が生み出されました。
現代の視点で見ると「なんじゃこりゃ」と感じるようなデザインも少なくありません。
しかしそれらは、当時の社会や技術水準、生活環境における切実な必要性から生まれたものです。
だからこそ、それらを現代の価値観だけで評価することはできません。
皮肉なことに、そうした実験的で必要性に忠実だった家具ほど、現在では美術品として扱われ、コレクターズアイテムになっています。
イームズの家具は美術品ではない
この流れを踏まえると、はっきりと言えることがあります。
イームズの家具は美術品ではなく、工業プロダクトであるということです。
美しく見えるのは結果であって目的ではありません。
必要性を突き詰めた結果として、合理性と美しさが同時に立ち上がってきただけです。
ポストモダンと「見た目が機能に影響する」という思想
家具の歴史を振り返ると、ポストモダンのように「見た目そのものが機能に影響する」という考え方のもとでデザインされた時代も存在します。
当時はまだ何が正解かわからない中で、未知の可能性に挑戦した結果、歴史的にそれらはアート作品として位置づけられるようになりました。
しかし、それは後世からの評価であって、当時は誰にもわからなかったことです。
そして現在、見た目だけを目的とした家具は、もはや最初からアート作品と言って差し支えないでしょう。
現代デザインの違和感
現在のデザインは、どうしてもデザイナーの思想や世界観を体現する方向へ傾いているように感じます。
これは良い・悪いの話ではありません。
ただ、「デザインとは見た目をしつらえるもの」という認識が広く浸透してしまった結果だと言えます。
歴史を振り返れば、見た目の美しさだけを語ることは本来デザインの役割ではなかったことは明らかです。それにもかかわらず、現代でも同じことが繰り返されています。
量産されるアート作品であり、デザイナーの名前で売られる家具。
「○○の作品だから素晴らしい」という評価軸は、もはやデザインではありません。
それはブランド名や肩書きに価値を預ける宗教的信仰、あるいは偶像崇拝に近いものです。
家具と権威主義の切っても切れない関係
家具の歴史において、権威主義と切り離せない側面があることは事実です。
王侯貴族や宗教権力の時代、家具は生活用品というよりも、地位や血統、支配を可視化するための装置でした。
この価値観が大きく転換したのがフランス革命以降です。
人は生まれながらに平等であるという思想が社会に現れ、「良いモノは特定階級の専有物である必要はない」という考え方が芽生えました。
ただし、この時点では思想が生まれただけで、一般民衆が実際に良質な家具を手にできたわけではありません。
本当の意味で家具が飛躍したのは、産業革命以降の大量生産と技術革新によって、誰もが等しくモノを享受できる条件が整った時代です。
この流れの中で、デザインは貴族のための装飾から解放され、だれしもが平等に享受できるものとして成立しました。
それにもかかわらず、昨今は再び、名前や価格、希少性によって価値が決まる権威主義、資本主義の崇拝、貴族主義へと逆戻りし、それを称賛する空気すら感じられます。
これは、フランス革命以前の価値観への回帰であり、近代デザインが否定してきた思想そのものです。
この状況は、明らかに歪んでいます。
それはもうアートではないか?
であれば、正直に言い換えるべきではないでしょうか。
それはデザインではなく、アートであると。
用途や必要性よりも、思想や名前、価格や希少性が優先されるのであれば、それは工業デザインではありません。
もしチャールズ・イームズが現代の美術化した家具業界を目にしたとき、彼は何を思うでしょうか。

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