イームズ夫妻が1945年にハーマンミラー社と共同で仕事をすることを決めた理由をご存じでしょうか。
もちろん、当時の両者によるさまざまな交渉や思惑があったはずですが、イームズ夫妻にとって決め手となったポイントがありました。
これ実は些細なことで、どうやらハーマンミラー社だけがイームズのデザインそのままで販売を許可したからだそうです。
他にも何社かイームズ夫妻にアプローチがあったそうですが、何処もデザインの変更を求めていました。
その中にはKnoll社も含まれます。
ジョージ・ネルソンがイームズ夫妻の才能を発見し、初代ハーマンミラー社長のディプリーに「自らの報酬を減らしてでもイームズを迎えるべきだ」と熱心に説得した、というエピソードが残されていますが、これはあくまでハーマンミラー社側の話です。
ハーマンミラー社側が求めてもイームズ夫妻が選ばなかったらそれまでですからね。
この件は浜田の著書(1963年)に記載されており当時のことが書かれています。
つまりイームズ夫妻としてもっとも譲れない部分がデザインの変更だったということです。
でも結局ハーマンミラー社から発売されたプライウッドチェアのデザインはMoMAで展示されたデザインとは少し異なったものとなりましたが、大まかには変えていないので譲れない部分は残っているのでしょう。
そう考えるとイームズ夫妻がハーマンミラー社と仕事をするようになったのは、たまたまとも言えるかもしれません。
他の会社がデザインを変えなくて良いとオファーをしていたら、結果は変わっていたかもしれませんからね。
これだけで当時の話を断言するつもりはありませんので誤解はしないでください。
あくまで理由の一つですね。
ちなみにネルソンは正直イームズ夫妻をハーマンミラー社に迎えるのは快く思っていませんでしたが、それでもハーマンミラー社の為に迎えるべきだと判断をしています。
ところで他社はデザインのどこの変更を求めたのでしょうね。
何がイームズにとって譲れないデザインだったか気になります。
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