
ヴィンテージ家具が、現在では高額で取引されていることがあります。
その理由の一つに、現存数の少なさがあります。
そもそも生産当時、量産数が少なかったため、現存するものも少ない。
だからレアものとして高値で取引され、伝説の椅子だったり、貴重な逸品だったりと評価される。
でも、それってよく考えるとですよ。
当時は売れなかっただけ、ということでは?
そりゃ、売れなければ生産数も少なくなります。
家具はプロダクトなのでシビアなものです。売れなければ生産終了です。終わり。
所有している人が少ない以上、現存数も少なくなるわけです。
そして時を経て、「数が少ないから貴重」「珍しいから価値がある」となり、高値で取引される。
数が少ないもののほうが貴重なのはわかります。
でも、デザインとは本来、人や社会のために作るものではないでしょうか。
人が使うものであり、生活の中に置かれ、実際に機能するものです。
それを十分に達成できなかったものが、時代を経て美術的・歴史的な価値を持ち、高値で取引される。
デザインとして成立しなかったものが、後になってアートやコレクターズアイテムとしてリバイバルされる。
家具としての評価とは、ずいぶん違うところに着地しているように思います。
もちろん、少量生産になった理由は「売れなかった」だけとは限りません。
作ろうとしたけれど、量産すること自体に問題があった家具もあります。
たとえば、マシュマロソファのように、実際に作ってみたら想定以上にコストがかかり、継続的な生産が難しくなったものもある。
あるいはグラスホッパーチェアのように、カーブした部分が破損することで生産が終了したものもある。
でも生産も含めてデザインです。
デザインは、紙の上で美しい形を考えて終わりではありません。
それを実際に製品として作れるのか。
必要な品質で量産できるのか。使っても壊れないのか。コストが合うか。
製品として成立させるところまで含めて、プロダクトデザインなのではないでしょうか。
だから、量産できなかったのであれば、それはデザインとしてうまくいっていないと言えます。
壊れやすくて使い続けられないのであれば、それもデザインとして不良です。
どれだけ造形が美しくても、どれだけ革新的なアイデアであっても、家具として作れないのであれば、それは家具のデザインとしては成立していないと思います。
ところが、ここがヴィンテージ家具の世界では少し不思議なことになります。
壊れやすい家具は、時間が経つほど現存数が減っていきます。
壊れて捨てられるからです。
結果として残ったものが少なくなり、「現存数の少ない希少な作品」として価値を持つようになる。
本来なら、壊れやすかったことはプロダクトとしての欠点だったはずです。それによって残らなかったはずなのに、何十年も経つと、今度はその「残らなかったこと」が希少性として評価される。
これは、なんとも奇妙な話です。
後年の資産価値だけを考えるのであれば、家具というのは少なければ少ないほど値が付きやすくなるということです。
意図的に生産数を絞っておけばいいですね。
生産当時のデザイナーや工場にとっては、現存数が少ないことなど何の価値にもなりません。
作ることが難しい、量産できない、壊れる、コストが合わない。
そうした問題をどう解決して製品として成立させるか。それが仕事だったはずです。
それなのに、何十年も経ってから「現存数が少ない貴重な作品です」「伝説的なデザイナーによる名作です」と評価される。
デザイナー本人からすれば、草葉の陰で「いや生きている時に売れてくれよ・・・」と悲しんでいるかもしれません。
さらに、誰も知らなかった、誰も興味を持たなかったデザイナーが、亡くなった後に突然「伝説のデザイナー」になることもあります。
そこには、子孫やギャラリー、メディアなどによるブランディングもあるのでしょう。
もちろん、後世になって再評価されること自体が悪いわけではありません。
当時は理解されなかったものが、時代が変わって評価されることもあります。
ただ、そこで起きていることは、家具そのもののデザインとは少し違う話になっているように感じます。
家具はプロダクトでありデザインだからです。
家具の本質とは、随分と離れたところにある価値なのではないかと思います。

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