家具に対して「アート」や「美術品」と呼ぶのは本当に褒め言葉なのでしょうか?
特に椅子については『まるでアートのよう』『美術品のよう』のように評価されることがあります。
一見すると最上級の評価のように聞こえますが、実はその真逆ではないかと考えています。
なぜなら家具や椅子は、道具である以上はプロダクトであり、つまり「デザインされたもの」だからです。
デザインとは、社会や人の問題を解決するために考えられたものです。
その対極にあるのが「アート」です。
アートは自己の発現であり”内なるものの発信”です。
社会と個人の違いが「デザイン(社会)」と「アート(個人)」の違いです。
そしてアートは資本主義の象徴です。
対してデザインは社会主義(のようなもの)です。
以上のことから、家具に対して「アート」や「芸術」と表現することは、「自己表現」だと言っているのと同じなのではないでしょうか。
「自己表現」という言葉は、社会や人のための道具としての役割を持つ家具において、使い手の利便性よりも作り手の個性を前面に出すという意味合いになります。
したがって、それは必ずしもポジティブな意味合いにはならないのです。
強い表現をすれば、それは「独りよがり」とも言えるかもしれません。
その評価を決めるのは「資本家」であり、「資本主義」であるということです。
もちろん、最初からデザイナーが家具として作っていないのならば、それはアートです。
その場合、もはやデザイナーとも呼びませんし、家具とも呼びません。
それは「家具のように見えるアート」です。
たまに見かけますよね? わざと破壊された家具を展示して「アート」だとするようなもの。
どうもこの社会では「アート」や「芸術」は誉め言葉として使われがちですが、その本質を探ると、必ずしも正当な評価や感想にはそぐわないのではないでしょうか。
先日の記事でも似たようなことを書きましたが、ポストモダンなんかは「アート」だと思います。
でもそれは結果論です。過程の上でそうなっただけで、歴史の渦中ではそうは考えられていなかったのです。すでに成熟した現在でこの理論は通用しません。
歴史は、結果によって評価が変わるものです。
そう考えると過去の家具についてはどのようなフォルムであってもデザインとは呼べます。
結局どっちだという話ではありますが、何かを断定する目的ではありませんのでご理解ください。
本記事は考察のような内容ですので、何かを否定したり非難する目的はありません。
私自身も、以前は気軽に「アートだ」「美術品だ」と口にしていましたが、それは未熟だったなと今は反省しています。
なによりも家具に対する最大の評価とは「その家具を買うこと」です。
それ以上は無いですね。
プロダクトはデザイナーにお金が入ってこそ評価となります。
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